30x40cm
リトグラフ
和製額付
価格 20,000円
「フィレンツェ風景」 ブルートーンおよびイエロートーン ブルックスビー作
これら二作のリトグラフは フィレンツェの中心街を題材に取ったもので、アルノ河左岸にそびえるこの町で一番高い丘の頂にあるミケランジェロ広場から町を見下ろした構図で描かれています。
アルノ河は 東のアレッツォと呼ばれる町の方面に源流がありフィレンツェの町中を通り、西の方向へ流れ ピサにある河口から地中海へと流れ出てゆきます。
よく見ますと 画面左中央に 上に建物がのっかったようおもしろい橋が見えます。
ヴェッキオ橋または ポンテヴェッキオ(Ponte Vecchio)と呼ばれている橋で 地元の人々はもちろんのこと 世界中の人々から愛されてフィレンツェのシンボル的存在で数ある町中の観光の名所の一つです。
ちなみにポンテは橋、ヴェッキオは古いという意味でこの町に存在する橋の中でもっとも古く、その起源は 紀元前一世紀、古代ローマのジュリアス・シーザーの時代にまでさかのぼります。この地にやって来て 先住民族であったエトルリア人と戦って圧勝したローマ人たちは このアルノ河のほとりに(リトグラフでは右側に相当する右岸)ローマの町を母型にした小さな町を築き、フィオレンティア(Fiorentia)と命名しました。
その小さな町が現在のフィレンツェの原型だったわけです。Fiorentiaには (花さくように、豊かな)という意味があります。
現在建っているヴェッキオ橋は 1300年代の大洪水で流された後に再建されたものでその当時はまだ一般的な橋の形を留めていました。 建物が橋の上に建っているよう現在の形になったのは1560年代、メディチ家のコジモ1世の時代で、メディチ家おかかえでもあった偉大な建築家 ジョルジョ・ヴァザーリによって、アルノ河をはさんで存在する2つの宮殿、シニョリア宮殿(またの名をヴェッキオ宮殿)と 左岸のピッティ宮殿を結ぶためのながい内廊下が建造されたことによります。
シニョリア宮はこのリトグラフのほぼ中央に 茶色い高い塔の目立つごつごつとした要塞のような建物として描かれています。
廊下はウフィッツィ宮をぬけ、ヴェッキオ橋の上を通って左岸に渡り、人家や教会の中を突きって2.5km先のピッティ宮にたどり着きます。
まさに当時のフィレンツェにおけるメディチ家の絶対的権力を彷彿とさせている特殊な廊下ですが、実はすでに古代ギリシャ時代にこのような長い廊下がありました。その史実を参考にして ヴァザーリと共に コジモ1世は街中を独裁者である自分たちの身の安全を守るために長い廊下を建設したのですが、さすがはルネッサンスの文化を支えてきたメディチ家の君主、古典に対する教養がうかがえます。
画面中央右よりには 赤いレンガを積み上げて作られたこの町のもう一つのシンボルであるフィレンツェ大聖堂の円蓋が美しくそびえたっています。
ブルートーン(青系)は 朝のすがすがしさをたたえたフィレンツェ、イエロートーン(黄色系)のほうは 夕焼けに映し出された美しい古都フィレンツェが描かれています。